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思い出の家

私の生まれ育った新川7町内は色々な地方の方言が飛び交っていた。

沖縄本島や宮古島、与那国島からの移民で構成されていて、そして我が家は父の話す竹富島語で育った。

多言語が飛び交う環境の中、有難いことに私はある意味方言のバイリンガルである(笑)

辺り一帯は我が家を含め茅葺き屋根のいわゆるガヤヤーだった。

間取りは1番座と2番座、裏座、板の間、北西にはトーラ(台所)があり、トーラでは土で固められたかまどで火を起こし料理を作った。

時に姉たちはかまどの薪で火ばしを熱し、パーマを当てていたのを思い出す。

トイレは別棟で大雨の日は移動に不便な思いをした。

日本は部屋を座敷、板の間などとしつらえで呼んだり、六畳間、八畳間と部屋の広さをそのまま室名にしたりする。

それは一つの空間をいろいろな用途に使い分ける為で、狭い空間でいかに有効に生活するかの知恵なのだろう。


日中は居間として客間として、夜は蚊帳を張り寝室として用途を重複させて生活した。

そこでは狭いが故の家族の絆も育まれた。

竹富島では伝統的建造物群保存地区ならではの赤瓦や茅葺きなど、景観や古くから伝わる間取りを大切に伝承を続けている。

石垣でも分家が進み、移住者も増え、狭小地での若い人達の建築も増えて来た。

狭い事を嘆かず、故の利点を活用した間取りもいいのでは。

当時庭には家族が大好きだったガーベラがふんだんに植えられていた。

ある日竹富島から来た知り合いのおばさんに、なんで食べられない物植えてる?

と言われ返事に窮したのを今でも思い出す。


代表取締役  前木 繫孝


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